読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

アラサー新婚OLの記録

結婚生活、試行錯誤中。

本音

私が夫の態度に明確な変化を感じ出してから、約半月が経った。

一昨日の夜、ホルモンバランスの乱れからか、別宅暮らしが始まることの話題で泣き出してしまったことがあった。深夜2時までふたりとも起きていることとなったのだが、そのときも夫は私を咎めずに話に付き合ってくれた。「眠いし、面倒くさいと思うなら無理してかまわなくていいから」と言う私に、「必要なことだと思うから、自分からこうしているんだよ」。
次の日も夫は態度を変えずに接してくれた。帰ってきてからも、だ。

思い返せばその話題のなかで、夫は「(新しい暮らしを楽しみにするような)そういう気持ちでもなくなってきてるんだよなあ」と言っていた。「すでに寂しい」とも。夫の口から、私と離れることで寂しいだなんて、本当に、思ってもなかった展開である。

私は夫に、「ひとりの生活のほうが良くなってしまったらと思うと不安だ」とか、「またいつか前のような冷たい態度に戻ってしまうのではないかと、優しくされても喜べない」とか、本音をつい打ち明けてしまった。夫は、「そんなことはないと思う」と言ったが、どうだろう。私はわからない。夫がひとり暮らしの気楽さ、通勤の楽さなどから、私との生活を比較してどう思うのか、怖い。
夫はただ、「悲しいこと考えないでいいよ。この家もとても大切だよ」、「以前は余裕がなかった。冷たい態度をとってごめんよ。もうあんな態度をとることはないよ」と優しく言ってくれた。

そう、夫はとても優しくなった。
付き合っていたころ、結婚したばかりのころに戻ったかのようだ。結婚後しばらくして冷たい態度に変わってしまって数ヶ月は、「これが本当の夫で、以前の優しかった夫は、無理して作っていたものだったのかも」と思っていたが、やっぱり、夫はこういう人なのだと思うと少しホッとする。私はこんな夫が好きだったのだから。
歩くときも、手をきちんと握ってくれる。寝る前のキスも、ちゃんと表情がある。表情も言葉もやわらかい。私は、今の夫が大好きだ。安心はまだ、していないけれど。

夫が別宅暮らしを本格的に始めるのは、いよいよ来週から。どう変わっていくのだろう。私も、夫も。
夫が言うように、「今後ふたりで暮らしていくためのきっといい結果につながる」のなら、会えない時間が増えてもお互いを思いやれ、お互いの大切さに気づき、いい感情が生まれる機械になるのだろうか?
もしも夫の別宅に反対したとして、夫と過ごす時間はこれまで通り維持できたとしても、お互いの関係が悪化するのなら、一緒の時間が多いからと言って良いわけではない。でも、さみしい。さみしいな。

距離を取る

一昨日の夜、寝る前に夫が言った、「明日の夜はできるよ、次の日余裕があるから」という言葉。そう言って結局その夜もしたのだけれど、昨日も私は期待してしまって、繋いだ手を弄んでしまった。もちろんその動作で、私が期待していることを夫は察知する。それで夫は、「昨日言ったこと覚えてるよ。でもなあ」とあまり乗り気でない様子。でも、流れでそのまますることになった。
手を弄んでいるときから、薄々感じてはいたのだが、今は強く思う。そうするべきでなかったと。

夫に対して、私からのアプローチはどんなものでもよくないからだ。
手を弄ぶというのは、不要なアクションであった。猛省している。
夫との距離が詰まりつつある気がしてよくないと思い、行くか悩んでいた友達の誘いを受けることにした。明日の夜は友達と食事に行くと決めた。
また、今日帰宅後は、PCに向かおう。夫の方を向く時間を減らそう。こちらからのアクションをとにかく減らすのだ。

距離が近すぎる、とは、夫に対してはじめて思った。
この感覚は、今後大切にしていくべきだろう。

自分の時間がやっぱり減ってしまう

夫とのことがうまくいきそうになってきて、私はやはり油断しだしたと言える。脚本の課題も一つも終わっていないし、明日締め切りの超短編も手すらつけていない。読書だってしていない。こんなんじゃ、元の木阿弥なのだ。気を引き締めて、自分のことをやる時間を一定ラインキープしよう。
そう思って、私は今ブログを書いている。隣のソファで夫は寝そべりながら楽しそうにゲームをしていて、私はそれについ参加してしまいそうになった。でもいけない、と思い直して、バランスを取るためにノートを開き、こうしてブログを打ち込んでいるのだ。これは一見すると、物書きをしているようでちょうど良い。まぁ、広い意味では物書きなのだが。

脚本、一本だけでも提出できたらと思うのだが、なかなかそうもいかない。なんて、これは言い訳でしかない。とにかく、明日から移動中はキンドルで読書だ。

甘いばかりではだめ

甘いばかりではだめ、ということだろう。
スイカに塩をふりかけることで甘さが引き立つように、きっと適度な塩分も必要なのだ。

夫も「楽しかった」と言った旅行から一週間。旅行前は、旅行中に夫の気持ちが変わったらどうしよう、なんて思っていた。それからまだ約一週間しか経っていないらしい。一時期より状況がかなり変わりつつあるので、結構な時間がたったかのような感覚なのである。

今日、夫の別宅の鍵が受け取り可能となるそうだ。入居可能となるに伴い、昨日・一昨日と夫と一緒に夫の実家へ行って別宅暮らしの準備をした。大学時代の一人暮らしで使っていたものが実家に保管してあるから、それを別宅へ送る手はずを整えたのだ。そして今度は別宅側での準備が必要となるが、それは今週末。
この、別宅暮らしにまつわる実家帰省、別宅での準備、ともに夫から「一緒に」と誘われている。ちょっと前なら信じられない事態だ。一緒にどころか、私に関係するものを断ちたがっただろうし、私自体を別宅に入れたがらなかっただろう。でも、今はこうして誘ってくれている。私を拒絶しないで、受け容れて、認めてくれている。こんな風になれるなんて、なかば諦めていた。本当に嬉しい。

夫は、私がいない生活を想像することがあるという。「寂しいという感覚がわかってきた」と言うのだ。昨日は、「そういうことか!」と急に言うので何かと思えば、単身赴任の人がなかなか帰らずにいつまでも会社にいること、高いお金を払ってキャバクラにいくこと、どれもみんな誰かに話を聞いて欲しいからでは? という仮定が思い浮かんだそうだ。その上で、「俺も話すのが好きだからなぁ」。
こういう気付きが結婚を肯定する材料になるかどうかはわからない。でも、夫は確実に変わってきていて、先週に引き続き私を配偶者として認めるようなことを言っていた。「さすが嫁」と。「嫁?」と少しだけ笑って突っ込んだが、それ以上は言わないでおいた。夫は夫なりに、ゆっくり「結婚」を受け入れようとしているのだろうから。夫を混乱させるようなことはしない。必要以上にものを言わない。夫は頭がいいから、ちゃんと自分で考えて、ちゃんと答えを出してくれる。私は、それを急かしてはいけない。夫を信じて、隣にいるだけである。

そんな私が年明け~2月初旬に意識して変えたことは以下の通り。
●基本的こちらから働きかけない(コミュニケーション、スキンシップ全般)
●独り言を全部拾わない(無視するのではなく、聞き流す)
●ネガティブな言葉を言わない
●「かわいさ」より「おもしろさ」優先(笑いが大切)
●自分の思う「よき妻」より、夫にとっての「居心地のよい存在」を意識(気楽なコミュニケーション)

……こう羅列してみると、お互い苦しい数ヶ月があったからこそ得られた気づきの大きさを感じる。これらは、容易には気づけなかったことだし、仮に頭で理解しても私の心がついていけなかった。これが歩み寄り、すり合わせというものだろうか。

女友達と食事/SNSも楽しむ/夫からのLINE

昨日は、仕事終わりに女友達と会って食事をした。気楽に、チェーンのパスタ屋。これにサラダ、デザート、スープ、紅茶がつけば、おしゃべりするにはこれで充分。変な店に行くより良い。お互い特に変化ない日常を過ごしており、会話が大盛り上がりしたわけではないが、楽しかった。気楽に話せる関係がありがたい。

ところで、私はSNSを楽しむのが下手なのだけれど、最近楽しむことにしている。
見たくないものは容赦なくブロックしたりフォローを外したりし、見て楽しいものだけ目に触れるような環境をつくることが大前提ではあるのだが。
フェイスブックは、思い切って友達申請。これで承認してもらえたらそれで嬉しい気持ちになれる。また、これはという出来事があったときには記事を投稿して、いいね!をもらえたらそれはそれで嬉しい気持ちになれる。ちょっとした承認欲を満たしてくれるツールである。
最近新しく始めたのがインスタグラムで、これは特に気に入っているのだけれど、何がいいって、楽しかった記憶だけ写真として並ぶことだ。私はこんな楽しいことをしたんだ、こんないいことがあったんだ、と思い出すことができるのがいい。良かったことをすぐ消費してしまうのが私の悪い癖だが、インスタにアップしておくことで思い出すきっかけになるのだ。これは、自己肯定にもつながる気がする。また、案外いいね!が付きやすいもの良い。これまたちょっとした承認欲を満たせる。
今日もFBで友達が増えた。いいことだ。

昨日は、私が送ったおやすみLINEに日付が変わるまで既読がつかない状況が続いた。
私の悪い癖だが、ネガティブな思考が頭をもたげる。出張中にまた考えが変わったのではないか……。
本当は夫からの返信を待って、その後すこし時間を置いてこちらも「おやすみ」と連絡したいところだったのだが、眠かったのでLINEすることにした。あくまでライトな、冗談っぽいおやすみLINEである。
出張中、私は夫の体調を気遣う空気満載の労りLINEをするばかりだったが、そんなのやめた。気を抜いて、適度にアホっぽいくらいがちょうどいいという考えに至ったのである。さらに毎回かわいいスタンプもつけていたが、そんなのもたまにでいい。文字数も多くないほうがいい。現に昨日は3行、スタンプなしだ。
朝起きると、夫からおやすみLINEが届いていた。ふきだし三つ分。自己開示しつつ、私の送った内容にもきちんと触れてくれているものだった。さらに、通勤中もうひとつラインが来た。うーん、珍しい。珍しいが、よいことだ。

おやすみのLINE

夫は、旅行の翌日から出張に出た。3泊4日。昨夜来たラインはいつもと違って、今日あったことの報告と、「君はどうだった?」という珍しい内容のものだった。
夫が結婚を受け容れられないと悩みだしたのは10月末。それ以来幾度となく出張があり、「おやすみライン」はほぼ毎回必ず送られてきてはいたが、「おやすみ」だけとか、「おやすみスタンプ」だけとか、それはもう義務感満載であった。優しい性格なので、「おやすみラインだけは送っておかないと」と思っていたのではないだろうか。

そんな時期がしばらく続いたので、昨夜のようなラインがくると面食らう。「こんなに違うの?」という驚きではなく、「一時期のラインは本当はあまり気乗りしない状態で送っていたんだな」という発見のような確認をおこなうことになるからだろう。当時の私は、喧嘩して険悪なまま出張に出ても、夫がラインをくれるというだけで喜んだりほっとしたりしていた。しかし、夫は決して楽しい気分で送ってはいなかったのだ。うすうす感じてはいたものの、やはり、夫には私とのコミュニケーションを疎ましいものとしていた時期があったのは確かなのだろう。

時間はかかったが、こうやってまた夫が私に心を開いてくれてよかった。この状態が続くとも限らないが、いったんは、よかったなぁと思いたい。たくさん喧嘩して、お互いに泣いて、怒って、苦しんで、悩んで……。そうしてまた歩み寄れていることは、すごく尊いことだと感じる。
なぜなら、お互いの気持ちが離れてしまったり、冷めてしまったりするような危機が何度もあったから。
繰り返すが、あの時期はお互い、本当に辛かった。
それを乗り越えてなお、一緒にいることを選び合える私達で居られるのが、私は何よりうれしい。

これまで夫の出張期間は、私にとって不安な時間であった。夫がひとりでゆっくり物事を考え、結論を出すのが怖かったからだ。
今回の出張もまだ油断できない。

旅行へ行ってきた/機嫌取りの手土産/「夫婦」

夫と2泊3日で旅行へ行って来た。お互いに有給を1日とって、週末に3連休をつくったのだ。
前回の旅行は、夏の終わり。行き先には私の親類が居て、まだ入籍ほやほやだった私達を祝福してくれた。あのころはまだ夫も結婚式を楽しみにしていた時期だったと本人も言ってはいたが、だぶん気づかない部分で不安が膨らんできているところだったのではないかと今は思う。そのあと、11月のシルバーウィークにどこかへ行こうと話はしていたが、「どこにも行かず家で休みたい」と夫が言って、そうすることにした。だから、約5ヶ月ぶりの旅行だった。なんだかんだ、3ヶ月に一度はどこかへ出かけていたことを思うと、間が空いた感覚はある。

私はこの旅行について、楽しみが10割ではなかった。この旅行を期に、何かわからない何かが終わるのではないか、何かが良くない方へ転がっていくんじゃないか、そう感じていたからだ。それは何も旅行に限ったことではない。一緒に遊んでいるゲームももうすぐエンディングなのだけれど、これが終わってしまったら……などと考えることもある。いずれも根拠はないので、言ってみればネガティブな私のよくない癖がそうさせていたとも言えるのだが。
しかし、振り返ってみると終始楽しい旅行だった。夫も「それにしても楽しかったなあ」「行ってよかった」と満足の様子である。
夫が何の躊躇もなく「楽しかった」と言っていて、私は本当に嬉しくなった。夫が、楽しむことができるようになって、嬉しい。加えて私も楽しかったから、一層嬉しい。旅行中はとにかく仲良く過ごせた。夫が私を大切にしてくれているのが感じられたし、私も夫を大切にしているのだということを拒まれずに受け止めて貰えていると感じた。私はやっぱり夫が大切だと再認識した。
夫は夫で、私を「メンタル・ディスクロージャー」と称した。心のなかのことを聞いてくれる、必要な存在らしい。夫も私の存在意義を感じてくれるようになったと思うと、嬉しい。

旅行が終わって自宅まで歩きながら、私は、帰宅後すぐ別宅の契約に行くという夫に不満をぶつけた。私は、またこれで全部ぐちゃぐちゃにしてしまうかも、と不安になったが、結果的に夫は「こんな悲しんでいる君を置いて出かけられないよ」と、私に寄り添ってギリギリの時間まで一緒に居てくれた。こんなに優しくしてくれるとは思ってもみなくて、その優しさへの嬉しさも涙になって出てきた。
契約を済ませた夫は、私の好きな果物店のデザートとお菓子を買って帰ってきてくれた。「おいしいものがあるよ」。
こんなふうに、何でもない日にお菓子を買って帰ってきてくれたのは、同棲してしばらく経った夏以来だ。これだって、嬉しい予想外だった。だって、ごはんを作らないと私が言ったから、よそでごはんを食べて遅くなるんだろうなぁと思っていたくらいだから。

そんな夫は旅行中、自分の事を「夫」と称するタイミングがあった。私ははっとしたが、あえて反応はしなかった。
それについて話したのは、旅行から帰った昨夜のベッドの中だ。私たちの話をしていたとき、「『夫婦』でもいいのかなって思っているよ」と言ったのは夫だ。私は、旅行中でのことを思い出して夫に言った。
「自分のこと『夫』って言ってたよね」。
「うん、覚えてるよ」。
夫は、少しずつ「夫婦」ということを受け容れられつつあるようだと言う。私は態度に出さなかったが、内心少しうれしかった。少し、なのは、沢山喜んだら、状況が一変してしまうんじゃないかと怖いからだ。

「結婚を受け入れるのにあと5~6年かかる」と言った夫が、約一ヶ月でこうも変わるとは。別宅という選択肢を受け容れてよかったのだろう。別宅は来月頭から住めるようになる。
夫は言う。「別宅の家賃の元なんてとれなくていい。仕事で朝が早いとき、夜遅くなったとき、とにかく忙しいときのためのもの。俺の家はここだから。むこうに泊まるとき、きっとこの家の大切さを感じる気持ちは今よりもっと加速するよ」。
そうだといいな。一人暮らしの方が良くなってしまうんじゃないかと不安もあるのだけれど。