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アラサー新婚OLの記録

結婚生活、試行錯誤中。

自分の時間がやっぱり減ってしまう

夫とのことがうまくいきそうになってきて、私はやはり油断しだしたと言える。脚本の課題も一つも終わっていないし、明日締め切りの超短編も手すらつけていない。読書だってしていない。こんなんじゃ、元の木阿弥なのだ。気を引き締めて、自分のことをやる時間を一定ラインキープしよう。
そう思って、私は今ブログを書いている。隣のソファで夫は寝そべりながら楽しそうにゲームをしていて、私はそれについ参加してしまいそうになった。でもいけない、と思い直して、バランスを取るためにノートを開き、こうしてブログを打ち込んでいるのだ。これは一見すると、物書きをしているようでちょうど良い。まぁ、広い意味では物書きなのだが。

脚本、一本だけでも提出できたらと思うのだが、なかなかそうもいかない。なんて、これは言い訳でしかない。とにかく、明日から移動中はキンドルで読書だ。

甘いばかりではだめ

甘いばかりではだめ、ということだろう。
スイカに塩をふりかけることで甘さが引き立つように、きっと適度な塩分も必要なのだ。

夫も「楽しかった」と言った旅行から一週間。旅行前は、旅行中に夫の気持ちが変わったらどうしよう、なんて思っていた。それからまだ約一週間しか経っていないらしい。一時期より状況がかなり変わりつつあるので、結構な時間がたったかのような感覚なのである。

今日、夫の別宅の鍵が受け取り可能となるそうだ。入居可能となるに伴い、昨日・一昨日と夫と一緒に夫の実家へ行って別宅暮らしの準備をした。大学時代の一人暮らしで使っていたものが実家に保管してあるから、それを別宅へ送る手はずを整えたのだ。そして今度は別宅側での準備が必要となるが、それは今週末。
この、別宅暮らしにまつわる実家帰省、別宅での準備、ともに夫から「一緒に」と誘われている。ちょっと前なら信じられない事態だ。一緒にどころか、私に関係するものを断ちたがっただろうし、私自体を別宅に入れたがらなかっただろう。でも、今はこうして誘ってくれている。私を拒絶しないで、受け容れて、認めてくれている。こんな風になれるなんて、なかば諦めていた。本当に嬉しい。

夫は、私がいない生活を想像することがあるという。「寂しいという感覚がわかってきた」と言うのだ。昨日は、「そういうことか!」と急に言うので何かと思えば、単身赴任の人がなかなか帰らずにいつまでも会社にいること、高いお金を払ってキャバクラにいくこと、どれもみんな誰かに話を聞いて欲しいからでは? という仮定が思い浮かんだそうだ。その上で、「俺も話すのが好きだからなぁ」。
こういう気付きが結婚を肯定する材料になるかどうかはわからない。でも、夫は確実に変わってきていて、先週に引き続き私を配偶者として認めるようなことを言っていた。「さすが嫁」と。「嫁?」と少しだけ笑って突っ込んだが、それ以上は言わないでおいた。夫は夫なりに、ゆっくり「結婚」を受け入れようとしているのだろうから。夫を混乱させるようなことはしない。必要以上にものを言わない。夫は頭がいいから、ちゃんと自分で考えて、ちゃんと答えを出してくれる。私は、それを急かしてはいけない。夫を信じて、隣にいるだけである。

そんな私が年明け~2月初旬に意識して変えたことは以下の通り。
●基本的こちらから働きかけない(コミュニケーション、スキンシップ全般)
●独り言を全部拾わない(無視するのではなく、聞き流す)
●ネガティブな言葉を言わない
●「かわいさ」より「おもしろさ」優先(笑いが大切)
●自分の思う「よき妻」より、夫にとっての「居心地のよい存在」を意識(気楽なコミュニケーション)

……こう羅列してみると、お互い苦しい数ヶ月があったからこそ得られた気づきの大きさを感じる。これらは、容易には気づけなかったことだし、仮に頭で理解しても私の心がついていけなかった。これが歩み寄り、すり合わせというものだろうか。

女友達と食事/SNSも楽しむ/夫からのLINE

昨日は、仕事終わりに女友達と会って食事をした。気楽に、チェーンのパスタ屋。これにサラダ、デザート、スープ、紅茶がつけば、おしゃべりするにはこれで充分。変な店に行くより良い。お互い特に変化ない日常を過ごしており、会話が大盛り上がりしたわけではないが、楽しかった。気楽に話せる関係がありがたい。

ところで、私はSNSを楽しむのが下手なのだけれど、最近楽しむことにしている。
見たくないものは容赦なくブロックしたりフォローを外したりし、見て楽しいものだけ目に触れるような環境をつくることが大前提ではあるのだが。
フェイスブックは、思い切って友達申請。これで承認してもらえたらそれで嬉しい気持ちになれる。また、これはという出来事があったときには記事を投稿して、いいね!をもらえたらそれはそれで嬉しい気持ちになれる。ちょっとした承認欲を満たしてくれるツールである。
最近新しく始めたのがインスタグラムで、これは特に気に入っているのだけれど、何がいいって、楽しかった記憶だけ写真として並ぶことだ。私はこんな楽しいことをしたんだ、こんないいことがあったんだ、と思い出すことができるのがいい。良かったことをすぐ消費してしまうのが私の悪い癖だが、インスタにアップしておくことで思い出すきっかけになるのだ。これは、自己肯定にもつながる気がする。また、案外いいね!が付きやすいもの良い。これまたちょっとした承認欲を満たせる。
今日もFBで友達が増えた。いいことだ。

昨日は、私が送ったおやすみLINEに日付が変わるまで既読がつかない状況が続いた。
私の悪い癖だが、ネガティブな思考が頭をもたげる。出張中にまた考えが変わったのではないか……。
本当は夫からの返信を待って、その後すこし時間を置いてこちらも「おやすみ」と連絡したいところだったのだが、眠かったのでLINEすることにした。あくまでライトな、冗談っぽいおやすみLINEである。
出張中、私は夫の体調を気遣う空気満載の労りLINEをするばかりだったが、そんなのやめた。気を抜いて、適度にアホっぽいくらいがちょうどいいという考えに至ったのである。さらに毎回かわいいスタンプもつけていたが、そんなのもたまにでいい。文字数も多くないほうがいい。現に昨日は3行、スタンプなしだ。
朝起きると、夫からおやすみLINEが届いていた。ふきだし三つ分。自己開示しつつ、私の送った内容にもきちんと触れてくれているものだった。さらに、通勤中もうひとつラインが来た。うーん、珍しい。珍しいが、よいことだ。

おやすみのLINE

夫は、旅行の翌日から出張に出た。3泊4日。昨夜来たラインはいつもと違って、今日あったことの報告と、「君はどうだった?」という珍しい内容のものだった。
夫が結婚を受け容れられないと悩みだしたのは10月末。それ以来幾度となく出張があり、「おやすみライン」はほぼ毎回必ず送られてきてはいたが、「おやすみ」だけとか、「おやすみスタンプ」だけとか、それはもう義務感満載であった。優しい性格なので、「おやすみラインだけは送っておかないと」と思っていたのではないだろうか。

そんな時期がしばらく続いたので、昨夜のようなラインがくると面食らう。「こんなに違うの?」という驚きではなく、「一時期のラインは本当はあまり気乗りしない状態で送っていたんだな」という発見のような確認をおこなうことになるからだろう。当時の私は、喧嘩して険悪なまま出張に出ても、夫がラインをくれるというだけで喜んだりほっとしたりしていた。しかし、夫は決して楽しい気分で送ってはいなかったのだ。うすうす感じてはいたものの、やはり、夫には私とのコミュニケーションを疎ましいものとしていた時期があったのは確かなのだろう。

時間はかかったが、こうやってまた夫が私に心を開いてくれてよかった。この状態が続くとも限らないが、いったんは、よかったなぁと思いたい。たくさん喧嘩して、お互いに泣いて、怒って、苦しんで、悩んで……。そうしてまた歩み寄れていることは、すごく尊いことだと感じる。
なぜなら、お互いの気持ちが離れてしまったり、冷めてしまったりするような危機が何度もあったから。
繰り返すが、あの時期はお互い、本当に辛かった。
それを乗り越えてなお、一緒にいることを選び合える私達で居られるのが、私は何よりうれしい。

これまで夫の出張期間は、私にとって不安な時間であった。夫がひとりでゆっくり物事を考え、結論を出すのが怖かったからだ。
今回の出張もまだ油断できない。

旅行へ行ってきた/機嫌取りの手土産/「夫婦」

夫と2泊3日で旅行へ行って来た。お互いに有給を1日とって、週末に3連休をつくったのだ。
前回の旅行は、夏の終わり。行き先には私の親類が居て、まだ入籍ほやほやだった私達を祝福してくれた。あのころはまだ夫も結婚式を楽しみにしていた時期だったと本人も言ってはいたが、だぶん気づかない部分で不安が膨らんできているところだったのではないかと今は思う。そのあと、11月のシルバーウィークにどこかへ行こうと話はしていたが、「どこにも行かず家で休みたい」と夫が言って、そうすることにした。だから、約5ヶ月ぶりの旅行だった。なんだかんだ、3ヶ月に一度はどこかへ出かけていたことを思うと、間が空いた感覚はある。

私はこの旅行について、楽しみが10割ではなかった。この旅行を期に、何かわからない何かが終わるのではないか、何かが良くない方へ転がっていくんじゃないか、そう感じていたからだ。それは何も旅行に限ったことではない。一緒に遊んでいるゲームももうすぐエンディングなのだけれど、これが終わってしまったら……などと考えることもある。いずれも根拠はないので、言ってみればネガティブな私のよくない癖がそうさせていたとも言えるのだが。
しかし、振り返ってみると終始楽しい旅行だった。夫も「それにしても楽しかったなあ」「行ってよかった」と満足の様子である。
夫が何の躊躇もなく「楽しかった」と言っていて、私は本当に嬉しくなった。夫が、楽しむことができるようになって、嬉しい。加えて私も楽しかったから、一層嬉しい。旅行中はとにかく仲良く過ごせた。夫が私を大切にしてくれているのが感じられたし、私も夫を大切にしているのだということを拒まれずに受け止めて貰えていると感じた。私はやっぱり夫が大切だと再認識した。
夫は夫で、私を「メンタル・ディスクロージャー」と称した。心のなかのことを聞いてくれる、必要な存在らしい。夫も私の存在意義を感じてくれるようになったと思うと、嬉しい。

旅行が終わって自宅まで歩きながら、私は、帰宅後すぐ別宅の契約に行くという夫に不満をぶつけた。私は、またこれで全部ぐちゃぐちゃにしてしまうかも、と不安になったが、結果的に夫は「こんな悲しんでいる君を置いて出かけられないよ」と、私に寄り添ってギリギリの時間まで一緒に居てくれた。こんなに優しくしてくれるとは思ってもみなくて、その優しさへの嬉しさも涙になって出てきた。
契約を済ませた夫は、私の好きな果物店のデザートとお菓子を買って帰ってきてくれた。「おいしいものがあるよ」。
こんなふうに、何でもない日にお菓子を買って帰ってきてくれたのは、同棲してしばらく経った夏以来だ。これだって、嬉しい予想外だった。だって、ごはんを作らないと私が言ったから、よそでごはんを食べて遅くなるんだろうなぁと思っていたくらいだから。

そんな夫は旅行中、自分の事を「夫」と称するタイミングがあった。私ははっとしたが、あえて反応はしなかった。
それについて話したのは、旅行から帰った昨夜のベッドの中だ。私たちの話をしていたとき、「『夫婦』でもいいのかなって思っているよ」と言ったのは夫だ。私は、旅行中でのことを思い出して夫に言った。
「自分のこと『夫』って言ってたよね」。
「うん、覚えてるよ」。
夫は、少しずつ「夫婦」ということを受け容れられつつあるようだと言う。私は態度に出さなかったが、内心少しうれしかった。少し、なのは、沢山喜んだら、状況が一変してしまうんじゃないかと怖いからだ。

「結婚を受け入れるのにあと5~6年かかる」と言った夫が、約一ヶ月でこうも変わるとは。別宅という選択肢を受け容れてよかったのだろう。別宅は来月頭から住めるようになる。
夫は言う。「別宅の家賃の元なんてとれなくていい。仕事で朝が早いとき、夜遅くなったとき、とにかく忙しいときのためのもの。俺の家はここだから。むこうに泊まるとき、きっとこの家の大切さを感じる気持ちは今よりもっと加速するよ」。
そうだといいな。一人暮らしの方が良くなってしまうんじゃないかと不安もあるのだけれど。

別宅の目処が立っていた

夫は、別宅となる部屋を見つけてきていた。昨夜、ベッドに入ってから聞いた話だ。
夫が別宅を持つことについて、私が賛成したことで、夫は心が軽くなっているようだ。ひとり暮らしが楽しみな様子で、見つけた部屋の詳細と、カーテンの色について話していた。部屋は勤務先まで歩いて10分程度の場所にあり、通勤はかなり楽になるだろう。6畳のワンルーム。家具家電は、学生時代のひとりぐらし時に使用していたものを流用するらしい。実家にとってあるのだそうだ。

とても楽しみでわくわくしているのは伝わってくるのだけれど、私はなぜか悲しくない。夫が、「君と過ごす時間がすごく大切に思えてきた」と言ってくれたからかもしれない。まだ別宅に暮らしてもいないのに、「遊びに来てもいいよ」、「電話したら出てくれる?」などと言ってくる。離れることは寂しいことだ、とも言っていた。「寂しいと感じたことがない」と言っていたので、「寂しい」という言葉が夫の口から出てくるのはかなりインパクトのあることなのであるが、最近になって私が立てた仮説は、「夫は寂しさを感じない人間ではない」ということだ。

母親に電話するのも、実家に帰るのも、少なからず寂しいという感情がそこにある気がする。今となってはなくなった、私への出張先からの電話もそうである。

夫は、「一緒に通勤することもなくなるんだとおもったら、今朝の通勤中ずっと勃起していた」と言う。これは女性の私にはわかりかねる現象であるが、そのとき夫は確かにとても優しかった。私へ向ける眼差しが温かかったのを感じていた。

夫が一人暮らしをすることによって、一人暮らしの方がいいと思ってしまったら。私はそれを懸念している。この先私と一緒に暮らしていくために必要な過程なのだと夫は言う。そのためなのだと。
それなら、私は私で、受け容れなければならない。
ちょっと前の自分なら気落ちしていた気がしているが、冷静に考えて、落ち込む要素が今見つからないだろう。だって夫は私と暮らしていくために必要な感覚や経験を得ようとして、そのためにお金をかけるのだから。別宅はあくまで別宅で、こちらが本当の家だと言っているだから。
夫の愛情を確信できる今の状況と、そうでなかった昨年秋から先月までの状況をくらべたら、愛情を確信できる今のほうがうんと素晴らしい。私は魅力的な人間でいたい。夫に必要とされる人になるために、夫以外からも必要にされるのを目標に、自分を磨いていきたい。ポジティブに!

自分の世界を持ち続ける

今、慌ててPCを開き、文章を打ち込んでいる。さっきまで、夫のゲームを見て喋っていたが、ふと気づいた。「私は、脚本を書くのをやめたのか?」。一緒になってゲームをやっていてはいけない。ここは合わせるところではない。私は私で、自分のことをする。している姿を夫に見せる。それをやめてはいけないのだ。

思えば、脚本の課題だって一つも終わっていないじゃないか。先日、応募書類のために作文を書いたが、それで満足してしまっているのではないだろうか。あれはもう終わったのだ。次に書くものはいくらだってある。一つ書いたらそれで終わりではない。
一つ前の記事タイトルにも記したように、油断してはいけないのだ。自覚していながら、私は油断しているじゃないか。これを油断と言わずに何を油断というのだろう。私は書かなければならない。夫と一緒に夫の遊ぶのを見ているのではいけないのだ。私は私、自分の世界を維持していかなければ。