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アラサー新婚OLの記録

結婚生活、試行錯誤中。

別宅の目処が立っていた

夫は、別宅となる部屋を見つけてきていた。昨夜、ベッドに入ってから聞いた話だ。
夫が別宅を持つことについて、私が賛成したことで、夫は心が軽くなっているようだ。ひとり暮らしが楽しみな様子で、見つけた部屋の詳細と、カーテンの色について話していた。部屋は勤務先まで歩いて10分程度の場所にあり、通勤はかなり楽になるだろう。6畳のワンルーム。家具家電は、学生時代のひとりぐらし時に使用していたものを流用するらしい。実家にとってあるのだそうだ。

とても楽しみでわくわくしているのは伝わってくるのだけれど、私はなぜか悲しくない。夫が、「君と過ごす時間がすごく大切に思えてきた」と言ってくれたからかもしれない。まだ別宅に暮らしてもいないのに、「遊びに来てもいいよ」、「電話したら出てくれる?」などと言ってくる。離れることは寂しいことだ、とも言っていた。「寂しいと感じたことがない」と言っていたので、「寂しい」という言葉が夫の口から出てくるのはかなりインパクトのあることなのであるが、最近になって私が立てた仮説は、「夫は寂しさを感じない人間ではない」ということだ。

母親に電話するのも、実家に帰るのも、少なからず寂しいという感情がそこにある気がする。今となってはなくなった、私への出張先からの電話もそうである。

夫は、「一緒に通勤することもなくなるんだとおもったら、今朝の通勤中ずっと勃起していた」と言う。これは女性の私にはわかりかねる現象であるが、そのとき夫は確かにとても優しかった。私へ向ける眼差しが温かかったのを感じていた。

夫が一人暮らしをすることによって、一人暮らしの方がいいと思ってしまったら。私はそれを懸念している。この先私と一緒に暮らしていくために必要な過程なのだと夫は言う。そのためなのだと。
それなら、私は私で、受け容れなければならない。
ちょっと前の自分なら気落ちしていた気がしているが、冷静に考えて、落ち込む要素が今見つからないだろう。だって夫は私と暮らしていくために必要な感覚や経験を得ようとして、そのためにお金をかけるのだから。別宅はあくまで別宅で、こちらが本当の家だと言っているだから。
夫の愛情を確信できる今の状況と、そうでなかった昨年秋から先月までの状況をくらべたら、愛情を確信できる今のほうがうんと素晴らしい。私は魅力的な人間でいたい。夫に必要とされる人になるために、夫以外からも必要にされるのを目標に、自分を磨いていきたい。ポジティブに!

自分の世界を持ち続ける

今、慌ててPCを開き、文章を打ち込んでいる。さっきまで、夫のゲームを見て喋っていたが、ふと気づいた。「私は、脚本を書くのをやめたのか?」。一緒になってゲームをやっていてはいけない。ここは合わせるところではない。私は私で、自分のことをする。している姿を夫に見せる。それをやめてはいけないのだ。

思えば、脚本の課題だって一つも終わっていないじゃないか。先日、応募書類のために作文を書いたが、それで満足してしまっているのではないだろうか。あれはもう終わったのだ。次に書くものはいくらだってある。一つ書いたらそれで終わりではない。
一つ前の記事タイトルにも記したように、油断してはいけないのだ。自覚していながら、私は油断しているじゃないか。これを油断と言わずに何を油断というのだろう。私は書かなければならない。夫と一緒に夫の遊ぶのを見ているのではいけないのだ。私は私、自分の世界を維持していかなければ。

油断しない

独り言

夫の様子が変わってきた。明らかに、だ。いいことなのだが、いつまたどうなるかわからない。これを喜んでしまったら、その瞬間にまた元通りになるような気がして、喜ばないようにしている。いや、喜んでないわけではないのだが、こちらの態度は変えないように努めなければと気を引き締める思いが大きい。

セカンドハウスの話は、昨日は出なかった。私が個人的に調べたところによると、家具家電付きで会社に近い場所となると、月額10万前後の賃料はかかるようである。なかなかお金がかかる話だ。これを数ヶ月やるとして、もしそれで夫の気が晴れ、心のしこりが取り除けるのであれば、夫の苦しんでいる様子を思い返せば安いものだとも思う(私は到底出せない、大きな金額ではあるが……)。
ちょっと前の私であれば、きっとこんなとき余計なことを言ったろう。「調べて見たけど、けっこうするね」なんて調子に。本当に余計なことを言う人間だった。今はとにかく、夫や他人よりも自分のことを楽しみ、干渉しない。これを徹底するのみである。だって必要とあれば夫から切り出してくるだろうから。いざ、家を借りると言われたら、また少なからずショックを受けるに違いはないのだが、私はそのときにも「見つかったんだね!」とでも明るく返せる心づもりでいなければならない。これは確実である。

昨夜は夫とすき焼きを食べた。「おいしいね」ではなく「おいしい」が正解であるからそう言うと、「ね」と夫が同調した。ここ数日そんな対応がときどき見られる。以前なら、「まあまあかな」とか「うん」とか、そんなところだっただろう。
夕食を美味しく食べ、一緒にお風呂に入り、一緒に寝た。セックスもした。

そして今朝。少々驚いたのは、私の履いているスカートの色に合わせたと言ってピンクのネクタイを結んでいたことだ。これは、同棲時代はよくあったことであるが、10月頃から全くなかったことである。また、電車内で私のおでこに頭をわざと何度かくっつけてきた。こんなことも極めて珍しい。
何より、話し方、声のトーン、かなり変わったのだ。話の内容もであるが、とてもじゃないが10~1月によくあった冷たい感じが全くと言っていいほどない。

ここで私は思う。夫には、言葉で説明することは禁忌であると。
言葉で説得しようとすると、それは夫をコントロールすることになってしまうのだ。だから私は言葉ではなく態度で、自然に夫に伝える努力をしなければならない。それは必要なことだ。

●言葉にたよらないで思いを伝えること。

●夫に「尽くされている」と思われないフランクな接し方。(かわいいスタンプやねぎらいの言葉の乱用よりも、楽しいやりとりを心がける)

夫が何をどう考え感じるか、それはコントロールなんてできない。「こうしてくれるといいな、してくれるよね」という期待を持たずに、お互いが楽に楽しく無理せず過ごせること。
これが私達の目指す状態だろうと思っている。絶対に気を抜かない。私はもう、夫に感情面で依存しない、甘えない。

セカンドハウスの提案

夫がセカンドハウスを持ちたいと言い出した。私は賛成するしかなかった。なぜなら、もう夫はそれをやらなければ気が済まないだろうと思ったからだ。夫にそれを言うと、夫は「君は俺の理解者だな」「嬉しい」と言った。

夫が言うには、こうだ。
今、仕事が忙しいから、会社の近くに越したい。また、社会人になってからひとり暮らしを経験していないことが、心のなかでしこりになっている。だからひとり暮らしをしたいというのだ。
夫は、結婚というものを受け容れられないことで苦しんでいる。いや、一時期よりもだいぶ状況はよくなったろう。夫の態度もほぼ、同棲前か同棲中の頃と変わらないくらいに戻った。よく笑うし、よく話しかけてくる。むこうから歩み寄ってきているな、と感じることができるくらいになった。だけど、「心のしこり」が気になって仕方ないのだろう。今のように、私と一緒に暮らしながらでは、結婚を受け入れることに時間がかかってしまうという。「心のしこり」を解消できれば、結婚を受け入れる気持ちになることが、少し早まるのではないかと思っているようである。果たしてそうなのかどうなのか、もうやってみなければわからないし、やる以外にない状況である。

夫の結婚観というのは、なんだかかなり変わっている。私が思うものとはだいぶ違っていて、一抹の不安を覚える。私は、どんなときも同じ家に帰って、その日あったできごとを話したり、くだらないやりとりをしたりして「家族」になっていきたいという考えの持ち主だ。夫も、それはいいと思うと言ったが、今のままではそこにたどり着く自信がないようなのだ。
セカンドハウスと言っても、これは立派な別居だと私は思っている。夫は「出張と同じ感覚なんだけど」と言うが。ただでさえ出張で家を空けてばかりなのに、そこに輪をかけて家にいなくなるのなんて、私は結婚した意味がわからなくなりそうだ。
これが二人が夫婦になるための試練だというのなら仕方ないが、いったい私たちがどうなってしまうのか、私だってわからない。

夫は言う。「君が他の人に行ってしまうリスクは常にある」と。
その上で、「いなくならないで」「他の人にとられたくない」と言う。
こんな風に素直に言ってくれるのはすごく稀なことで、私は純粋に嬉しくて泣いた。夫としては、もうしょうがないのだ。自分の問題を解決しなければ、先に進めないのだ。だからリスクを抱えながらも、あえてそのリスクが伴う道を選択しようとしている。
夫は、あらゆる心理療法を自分で実行し、本を読み、その上で「やっぱり君のことが好きだと思ったよ」と言った。私だって夫が好きだ。でも、私はこの一人暮らしの寂しさに耐えられる自信が今はあまりない。こんな広い部屋にひとり、本当に寂しい。なんでそばにいてくれないのだろうと思ってしまう。そばにいてくれる人が欲しいし、そうしている夫婦が羨ましい。

「あなたの気が済まないと思うから、賛成はする。でも、私はいろいろ思ってるよ」と私は言った。思うことを素直に言った。夫は、これまでなら冷たく跳ね除けていただろう。面倒くさいといった態度で目を閉じて生返事をするか、背を向ける様子が目に浮かぶ。昨日の夫はそうじゃなかった。「君が悲しむのは嫌だから」と、私に腕を回して話を聞いてくれた。優しい声音だった。

ただ、私が悲しむのが嫌なのも、自分の気が済むようにしたいのも、どちらも本音で、後者が優先されることは、ふたりともわかっている。夫自身、自分の考えがクリアになったのはよかった。その上で私を好きだという気持ちを再認識してくれたことも。だけど、先が見えない。

乾燥肌/やると決めたことをやる

独り言

突然だが、私は乾燥肌である。なのにここ数日、肌に良い食事もせず、手入れもせずにいた。
それを反省して、今日はしっかりと全身保湿をしたのだが、やってみると大変気分が良い。保湿の大切さを改めて感じているところである。

土曜日、たまたま見つけた求人に応募した。老舗の出版社で、有名なところである。今いる出版社と毛色が違いすぎて、経験を評価してもらえるかどうかは自信がないのだが、まったくの未経験ではないから、引っかかって欲しいと思う。せめて書類選考は通過したい。いや、内定を取りたい。
この出版社の求人を見つけたとき、応募したいが、応募書類を準備するのが億劫だとまず思った。なぜなら課題があったからだ。でも締め切りが近かったこともあり、モチベーションを維持して取り組むことができた。無事書類を発送し、その時には記念に写真を撮ってしまった。嬉しかった。やると決めたことをやったことが。
この気持ちはとても清々しい。

次なる「やること」は、脚本の課題を2本片付けること。週末の旅行までには片付けたいと思っている。週に一本が、本当は目標なのであるが、なかなか……。いや、なかなか、じゃない。やるのだ。やるしかないのだ。
それと、月末締め切りの小説もある。ああ、時間はたったこれしかない。やるのだ。

自由の意味/距離感

独り言

同僚にもらった醤油を生かした夕食にしよう、と朝話していたこともあり、当然夕食は家で食べるのだという認識がお互いにあった昨日。
夫はまた、連絡なしに帰ってきた。少し前であったら、帰ってきた夫に対して「おかえり。連絡なかったからまだ会社出てないのかと思ってたよ」と言っていたところだ。でも、私はもうこれは言わない。
夫にとっては、「連絡してもしなくても何も言われない」ということが自由なのだろうと思うからだ。
もっと言えば、夕食が家にあるということすら、ときには夫の自由を縛るものになりかねない。

ただ、夕食の件に関しては、これで自由を侵される・重たいと思うとしたら、夫の身勝手に感じはする。
でも、今の夫には、その身勝手を身勝手として修正することが不可能なのだ。だから、私はいったん受け止めて、合わせようと思うのである。まずは私が夫を受け入れるということを態度で示すことが必要なのだ。その段階を踏まえなければ、夫は変わらないだろう。
夫がイライラしているよりも、私が多少の我慢をすることによって夫に機嫌良くいてもらうほうが、私にとっては大事なことである。こちらが工夫をして、我慢をして、それでも夫の態度が少しも変わらないようであれば、さすがに心も折れるが、今回は夫の態度が少々軟化してきているように感じるから、これは続けたほうがいいと思っている。

①Aでもいいし、②Bでもいい、③AとB以外でもいい、④それを決めるのはいつでもいい
……といったように、いちいち言ってあげること。これが夫には大事らしいのである。うっすら感じてはいたが、義母から同様のことを言われて確信した。
いちいち言わなくてもわかる人ではないのだ。夫のペース、夫のタイミング。これは夫自身も私に何度も言っていた言葉であるが、これがとにかく、何よりも大事なのである。

それを受け容れられるようになったのは、私の世界をちゃんと持ったことによるだろう。
夫のペースに合わせ、夫のタイミングを待ち……とにかく夫の行動ありきだった。でも今は、私は私の世界を持って楽しみながら、あくまで(表現は悪いが)片手間で夫に接する。何かしながら夫を待つ。
私にとってはこれが大事だったのだ。

夫は甘えた独り言を行ったり、話し方をするようになった。
それを全て拾っていたが、今はもうしていない。聞き取れないもの、意味のない発言に関しては聞き流している。全てにレスする必要なんてないのだ。すくなくとも、夫の場合は。

「今夜はこういう夕食にしようかな」と言った私に、夫は「わかったよ」と言った。言い方はぶっきらぼうではなく、極めてやわらかいものだったが、たぶん、朝のうちから夕食という予定を固めることに抵抗があったのだと思う。こういうことも言わないほうがいい。言ったそばから、「言わなきゃよかった」と思った。

発見

独り言

昨日、夫が出張から帰ってきた。
私の朝のラインに返事がなかったので、私は夫に連絡せずそのまま同僚と食事に出かけた。帰るよ、と連絡が来ると思って待っていたが、一向に来ない。しびれを切らした形で、帰り道に「これから帰るよ」とラインをした。
するとすぐに返事があった。夫はもう帰っていたのだ。
これまでにも、帰るという連絡がなく帰ってくることはあったが、回数としては少ない。何か精神的に不安的な場合が多いので、また出張中に何か考えたのではないかと私は不安になった。

帰ると、夫はもうベッドのなか。なんでも、23時を指して止まった時計を信じて行動した結果、21時台にもかかわらず寝る準備を済ませてしまったとのこと。そんなことあるのか、と思いつつも、余程疲れていたのかもしれない、と思い直す。
リビングに入ると、寝室から夫が「おかえりー」と声をかけてくれた。「ただいま」と返して、シャワーの準備をし、シャワーを浴びる。また寝室に戻るとまだ夫は起きていて、携帯で動画を見ていた。
動画を見終えたあとも、しばらく起きていて、夫は出張中や当日あったことをとりとめもなく話してくれた。こんな風に話してくれるという場合、夫の機嫌は悪くない。むしろいいだろう。私は夫に意見することなく、相槌を打ち、気持ちに寄り添うように努めた。

そして私からは一切触れなかった。夫が話すのをやめたら、こちらからは発話しなかった。夫は寝るとき、私の方を向いて眠った。


私は思った。
夫のテンションをあげようと、私が夫より元気に努めることがよいと思っていたのだが、それは正解ではなかったかもしれない。
夫の温度・テンションに合わせて、穏やかにただそこに居るということのほうがよいようだ。

また、夫からのボールをすべて投げ返す必要はない。むしろ、受け止めて返さないことがあってよい。

そんな、あらたな気づきがあった昨日であった。